生まれてからわたしたちは人を手本に生きている。
なんでも人と比べて基準を定める。
それも人間が大人になるまではたしかに大事だけど、
もういでつも、どこでも、どこまでも人と比べてどうかだけで生きているようになってしまってるのかもしれない。
爺さん婆さんになっても少しも変わらない。
でもいきる術さえ学んだらそんなものどこまでもいらないのにね。
それ止めたら楽になる。
それ止めたら本当に自由になる。
止められなかったら億万長者になっても自由にならないと思う。
億万長者になるのも人との競争に勝つための手立てになってしまう。それだけだ。
そんなの携帯電話のゲームに必死になるのと大差ない。
しなくても困らないゲームだけどその競争からおりられない。
だから一生競争だ。ランキング争いだ。
なんのためにそんなことするのでしょう?
そんなの造られた価値観ではないのだろうか。
価値観の多様性と許容のみが人を自由にし差別を滅ぼす。
誰かが勝手に声高に言い出したつまらぬ言葉狩りになんかに同調しても差別などなくならない。
そういう価値観への付和雷同こそが差別の温床、自由の敵だ。