金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

それっておかしくない?

LGBTへ配慮するという問題がよく言われるが・・・

男らしさだの女らしさだのも一つの価値観だ。

それも口にしてはいけない!差別だというのを昨日聞いてこれは「噴飯物だ」と思った。

どうして考えや思想を一つに絞るのか。方向が違う。

これはいうなれば愚かなファシズムだ。

 

第一ゲイ、レズビアン、バイセクシュアル、性同一性障害はおのおの別でしょう。

既存の連帯感なんかあるわけない。バカバカしい。

毎度毎度、それをひとまとめにひっくるめてLGBTと言う方がおかしい。

そのほうがよほど差別的だ。

言っておくが私自身は別にLGBTの人に抵抗はない。

そういう人が信者さんができてももちろん喜んで迎える。きちんと修行するなら「弟子でも構わない。

 

しかし性的マイノリティが生きやすい世界はもちろん賛成だが、皆の価値観まで同じにする必要はない。

大事なのはいかなる人も疎外し傷つけないということだけだ。

人がなにをしようとその尊厳を傷つけ、侮蔑し、邪魔するのはいけないが、好きや嫌いの感情までは自由だろう。

良妻賢母の妻が欲しいと言うのも、たくましく頼もしい男らしい夫に嫁ぎたいというのも気持ちや表現の自由じゃないのだろうか。

そう思わなくても思っても何が悪い!

たとえ、それを聞いて人が傷つくにしても、それは傷つく人の勝手だ。

個人の指向を言えばバイセクシュアルが考えられない性同一世障害。ゲイが嫌いなレズビアンだっているだろうに。

理解できなくても尊重することが大事で理解し共感することが課題ではない。

自分が黄色と言う色が嫌いでも他人が使用するのに文句をいうバカはいない。同じことだ。共感するしないは人の自由。

つまり人がどうであれ、差別的に扱うのはゆるされないが内面の思いは勝手だろう。

もちろん、これらの方たちが普通に受け入れられる時代は来なくてはいけない。

だが意識改革は時間がかかるのだ。

 

すぐに受け入れられないからと言って悪者扱いはいかがなものだろう?

そこを乱暴にしてはいけないと思う。

 

以前こんな話を聞いた台湾では同性婚がOKだという。

こんな話を聞いた。

あるゲイの男性、付き合っている人がいるという。「結婚しないの?」と第三者から尋ねられ・・・

「両親が本当のことは知らない。知れば悲しむと思うのでそれはする予定はないが、彼とはずっと付き合っていく」とのこと。

そこには一方方向ではない深い配慮がうかがえる話だ。

勿論、円満に結婚されれば一番いいだろうが・・・。

  

何かと言うとすぐ差別だというおかしな悪平等主義とはどこまでも戦います。