金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

供養も当て込めば迷信に堕する

夢に餓鬼が出てきて精霊供養をして欲しいと訴えるという夢見た人がいました。

厄介な病痛に苦しんでいるのでそう思うのだろう。

でも私的にはぴんと来ない。餓鬼のせいではないと思う。

私的にピンとこないと本人がどう訴えてもそういうのにもとずいては何もしない。

これは相談者が講員だろうが非講員だろうが同じことです。

まあ、お気の毒であることは間違い無いので代わりにいっしょに同道して漢方の松江堂の先生を紹介しました。

 

本人がそういうのだから精霊供養をやってあげらいいという人もいるだろう。

無論施餓鬼をすること自体はいいことだ。

だが本人は痛みとの因果関係でそれを言っているのだからそこははずせない。

そういうから・・・まあ、してさしあげたんだけど・・・と言う無責任な行動はできない。

結果が出なくても「アンタがそういうから…」ではプロの仕事ではないと思います。

医師が当人が手術して欲しいというから必要ないと思ったけど切りましたはないわな。

 

まあ、どうしても餓鬼が気になるなら大森先生に施餓鬼頼んだらいいとは言っておきました。

ただし大森先生は○○の目的達成のための施餓鬼とかはされません。

そこ勘違いして施餓鬼して自分の思う望みが叶わないと文句いう人もいて困るとか。

困ったもんだ。

何かを当て込んで供養などしても無駄だ。それは無功徳だ。

豊臣秀頼と淀殿は家康に豊臣の繁栄のためにとせられて、各地の寺社に寄進しまくった挙句、方広寺の鐘のことで因縁つけられて大坂夏の陣で滅んだ。

寄進しまくって肝心な時に兵をやしなう金が大阪城にはもうなかったという。

迷信とはこういうことをいう。

善行も一つ間違えば迷信に堕する。