施餓鬼供養を心がけてあげるのは、慈悲の表れです。その慈悲の気持ちが故人様に通じたのでしょう。
ここから頂いたメール
大森義成先生
こんにちは。お世話になっております。
3月の下旬に、自殺したいとこの施餓鬼供養をしました。母方の叔母の息子で、一回も会ったことがありません。
仕事に疲れていたのか何なのか、就職した横浜で亡くなりました。
会ったことはなくても、叔母や叔父、母の深い悲しみを近くで見てきました。
そのためか、なぜか時々思い出していました。
会ったことはなくとも、同じ祖父母を持ち血はつながっている。
それで施餓鬼供養をしました。施餓鬼供養をした時は何もありませんでしたが、私の心が満たされました。
「かならず、仏様が助けてくださる。大丈夫。次にもし生まれ変わったとしたら、人生を楽しんで」という気持ちでいっぱいでした。
そしてひと月ほどたった今日、いとこが夢に現われました。顔は見えませんでしたが、後姿をみて「〇君だ」と感じていました。
先祖の沢山いる明るい部屋にいました。
その夢が何を表すのかはわかりませんが、私にとっては安堵した夢でした。
ありがとうございました。