「本門の戒壇と霊界の統一」戦前の日蓮宗の僧侶 鷲谷日賢が描いた本です。
これを読んだ人が「奥山方広寺の半蔵坊権現が来て帰依したとある。半僧坊は臨済宗寺院の守護神なのに日蓮宗に帰依することがあるのか?」と言う質問。
鷲谷と言うお坊さんは頭変なのか?
そうではないでしょう。
ここに登場する半僧坊は新しくできてきた無意識体です。
元の集合無意識から離れて新しく鷲谷さんに感応してできた新しい神。
だから厳密にいえば奥山方広寺の半僧坊とは別です。
※鎌倉建長寺奥の半僧坊
同じようにヒンドゥーのガネーシャと密教の歓喜天はルーツは同じでも別な存在です。
だからインドで「ガネーシャ買ってきたので浴油してください。」はあり得ない。
それはそれ、これはこれ。
もっと不思議なことを言えば弘法大師だってそうやって祀る人やお寺によっていくつも分かれてきた。無数と言ってよい。まあ、大師は大師ですが縁が変わればその働きも個性も別になります。
新たなる神も仏もそうやって生まれてくる。