高校最後の修学旅行で買ってきた和歌山県太地のお土産「親子クジラ鈴」
この旅行でいち早く免許取った悪い仲間がいて岬のドライブにつれていかれた。
私はきわめて気の弱い臆病者だと思われていた( 実際そうだった 今でもそうです )
だから車を凄い勢いで岬巡りを飛ばしたら泡吹いて泣きわめくとでも思って同乗者は面白がって乗せたようだ。
だが、彼らにしてみれば残念ながらなにも慌てなかった。
平然としてるので「怖くないのかよ?」と聞かれても「なんだ。もっとスピード出してみろ!」といってのけた。肝が太いのでもなんでもない。
とんでもないことだが、運転したことがないのでスピードの怖さは分らないのだ。
今でも自動車は乗らない。まあ、こいつは危ないくらいは今ではわかるけど。
同じ理由で飛行機が怖いという人もいるが私はさして怖くない。
落ちないと多寡をくくっているわけではない。
落ちれば終わりだがどうすることもできないからだ。
決定的にどうすることもできないことはあまり考えない性分なのだ。無駄だから。
太平洋に突き出した太地はクジラのとれる町、魚市場も見学したがよそでは見ない体中につけられた刺し傷から血を流すイルカの死骸が並んでいて凄惨だった。
親子仲良いセミクジラの鈴。捕鯨に遭遇するとセミクジラは子供をかばうらしい。
そして死んでいく。
一体どういう気持ちでこのクジラ鈴はつくられたのだろうか。
私は捕鯨の話につくづく人間は罪の深い生き物だと思った。
それで私はクジラの鎮魂のつもりでこれを求めて仏壇に入れておいたものだ。
何時の間にか長い長い時が流れた。
この鈴に改めて商業捕鯨の廃絶を祈りたい。