昔、祖母の家に行くと神棚と言うほどの棚ではないが、そこに大黒天が祀ってあった。
祖母は「かけ撒くも畏き甲子大黒天、牛頭天王、荒神様」とお祈りしていた。
荒神さまと牛頭天王はなかったがそういっていました。
子供心になんとなく怖く感じた。ちいさな神様が見守っている。と言うより見張っている。
昔の家はどこの家もえてして夷大黒、荒神様、水神様、皇大神宮、氏神様と言うかみさんがいた。
昭和40年代くらいまでは普通に見られた。
こうした神様は家を守ると同時に我々を見張っているというのもあながち間違いではない。
家には家のルールや禁忌があった。
たとえば竈は清潔に保たないと荒神のお怒りに触れた。
トイレもそうだ。
水や火に感謝して使うという習慣。結構やかましく言う家もあった。
今はそういうものは影を潜め、家の中にも禁忌はない。
ストレスもない。
ストレスと言うと悪者扱いだが、適度のストレス(緊張)は実は有用である。
例えば屋敷神たちの存在はそれだったと思う。
こうした神々に気を遣うことにより皆が家族としてのゆるいまとまりを保つのに役立っていたと思う。
仏壇もそうだ。
今はないうちが多い。
ある家で実家に行って子供に仏壇に手を合わさせたら、奥方が「子供に変な事させないで!」と祖父母の前で文句言ったとか・・・
このように神棚も仏壇も置くことを嫌がる人も多い。
大部昔、八大竜王のお札についての質問。
「うち、神棚もないし、そういうの洋風の家なので会わないから置きたくない。
むき出しで人にお札見られるのもなんか嫌だし、祀るのはどうしたらいい。」ということだった。
「神様は開運グッズじゃないから敬意ある扱いができないなら止めておいてください。そういう気持ちで迎えられても竜王様もきっと嫌がると思いますから、何一ついいことないですよ。」でお断りした。