昔、ある知り合いと酒を飲んだ。
「羽田さん、あんた、加持祈祷とか霊験とかそういうのはさ、無知な拝み屋の言うことだよ。そんなこと言ってちゃだめだよ。仏教と言うのは科学なんだ。」
と知りもしないのに突っかかる。なにをいいやがる。
悪い酒だ。
相手にしないでいたが繰り返し繰り返し言うので
「仏教が科学なら仏教なんかやらないで科学やりゃすむだろうよ。
でも仏教から科学へ、科学から仏教へいくというのは全然主流じゃないね。
違うもんだからね。あんたもそう思うなら仏教なんかいじってないで科学やればどうよ。
もし仏教の究極は科学だとか。科学の究極は仏教だとか言う奴いたらそいつの話なんか聞きたくもない。どっちだってそう簡単に○○は××だといえるもんじゃないだろ。
それはただの勘違いだとしか思えないからね。」
「違うよ。それじゃダメなんだよ。」というので
「ダメで結構。
そもそも私はあなたの側に立つ人間じゃない。
あなたの評価もほしくないし、あなたがどう思ってもどうでもいい。
痛くもかゆくもない。
なぜだと思う?
私はあなたのいう「無知な拝み屋みたい」どころか、それそのものだからだ。
なんか教養人だとか知的な人間だとか誤解されては甚だ迷惑だ。
ついでに言えば私は科学も宗教も同程度に信じ、また同程度に信じていないのだ。
わかりました?」と言ったら黙った。
呆れたのかもしれないが、うるさいので黙ればそれで結構。
どう思おうとかまわない。
まあ、今思えば突っ込まれて自説を展開させたかったんでしょうね。
ちっとは相手してやればよかったかな・・・。
私は議論も討論も嫌いだ。
とくに宗教におけるそれは求めるものが一致していない限り、かぎりなく無意味に近いと思っている。
まだ団子に黄な粉かけるか、タレかけるかの討論の方が意味がある。(笑)