基本的に体罰は感心しないが、「しつけ」としてインパクトは大きいのも事実。
逆に言えばプラスもマイナスもインパクトが大きい行為だ。
すべてはそのメッセージを子供が受け取れるか否か。
間違えばお父さんお母さんは自分を嫌いなのだとしか思わない。
それがすべてだ。
ゆえに日常的にあれば虐待。継続的にあれば虐待と言うべきだろう。
全面否定は私は行政が言うべきではないと思う。これは程度問題だと思いますね。
お尻ペンペン程度で親が牢獄に入るのはおかしいだろう。
どこまでが教育なのかは本来親が推し量る。それが大事な親の役目だ。
日本の行政はなんでも「責任回避」に血道をあげる行政だからね。
国民もよくないのだ。
自分たちの責任をすぐに行政にすり替えて賠償をもらおうとする。
それでますますそうなるのだ。意地汚いことこの上ない。
日本人はどこまで落ちてしまったんだろう。
実際、高圧的な父親を子供さんが訴えて罪になってしまった例を知っている。
ただし、この場合は子供もいいオトナだ。
したがって明らかな体罰の行き過ぎで子供が一人でも死ねば、体罰は程度なく全面禁止。
だが、それは違う。体罰ではなく障害行為 暴力行為と言うべきなのだ。
だけど行政は行き過ぎも何も判断できないからすべて禁止。程度もヘチマもない。
パワハラの考えもそうだ。実際ヒドイ会社もあるのは良く知っている。
ただし、これも行き過ぎれば会社は怖がって社員を叱らず、注意もできず、眺めるのみで、しまいにはにっこり笑って「君は残念ですが首です」というだけになってしまう。つまり社員教育の不在だ。
教育についていえば一番の問題は哺乳類として本来持つ親の本能と言う基盤をなくした親が増えている事。犬や猫は子供を叱っても、しつけで子供をかみ殺すことはしない。
犬猫未満の親になれないオトナが増えている。