最新の医学では怖ろしい外敵であるウイルスは遺伝子強化、内在するガン細胞も細胞増殖と言う機能や役割を持っているという。
まさに諸刃の刃だが実はほとんどすべてのものはそうしたものだというのが仏教の立場です。
善悪不二。
一神教のように善悪を真っ二つにしない教え。
悪だけのものも善だけのものもない。
イスラム教で犬は悪なんだそうだが・・・何でだろう。
最近はペットブームで中東でも犬を飼いだす人は少なくない。
でも厳格なイスラームは犬を絶対買わない。
犬を飼う人は不届きものなのだ!
マホメッドが犬嫌いだったんだろうか。
仏教ではそういう考え方はない。だから説法の座には阿修羅や魔王も連なる。
不都合でも必要なもの。必要でも不都合なものもある。
ましてや不都合かどうかの大半は人の意識が決めているのです。
死ぬこと自体も大変不都合だが必要なことだ。
必要だが不都合だ。
幸か不幸か死なない人と言うのはない。
医学の発展で昨日の敵が今日の友になることだってあるわけです。
癌のご祈祷と言うのも時に頼まれますが、癌憎しで殲滅を祈るわけではない。
癌が暴れず、苦しみがないよう祈る。あるべき姿に戻ればよい。
三年封じで封じておく。そのまま出ないで収まることもある。
だが、不思議なことにこれが効いても三年たって封じが解ければ動き出す。
それでまた封じる。
これは末那識領域で病と約束しているんだね。三年間おとなしくしてねという取引だ。
構造は悪魔退散の祈願と同じ。
「年を得て身を妨げるアラミサキ、早や立ち返れ、元の住処へ」
悪さしないなら体の中にいてもいい。
魔物もどうあっても滅ぼさなければだめと言う対象ではない。
昔、真言宗の機関紙「六大新報」の今井先生にお会いした。先生は癌になられたが「抗がん剤投与はしない。癌と喧嘩しない。いても悪さしないならそれでいい。」といわれた。
結果亡くなられたが、抗がん剤を投与しなかったから早く亡くなったとは思わない。
癌の御祈願で霊験があることで有名だった真言宗の大徳も「抗がん剤やると生命力が傷つくのでお加持に良くない。ききにくい。」といわれていた。
別に医者でもない私が抗がん剤治療を悪いとは言わないが、私の知人も10年以上前に大腸癌で15センチほど切ったが、そのあと抗がん剤治療は拒否した。
いまもって70代半ばだが普通に元気だ。