人が不快に思うことはすべてダメ
叱るのも相手が不快に思っては駄目。
やんわり注意して駄目ならやめてもらう。
親身になって𠮟る人は下手すれば罪人になる。
それが世界の標準だと思っていたら大間違いだと思う。
日本人はひたすらバカになっていく。
人としては東洋一ダメだなあと思うことも多い。
例えばこの間、中国で錯乱したのか、計画的なのか無差別に23人も殺傷した人間がいた。
一種の狂人だろう。
だが中国でそういう話が報道されるより日本のほうがそういう事件ははるかに多いように思う。私は日ごろ中共政府を悪くは言うが政府の問題と国民は別だ。
要するに京アニの焼き討ちでもそうだが驚くほど精神がもろく弱いのだ。
みながプレッシャーやショックにきわめて弱く被害者意識だけが肥大していく。
先日も会社でちょっと息子が注意されたらもう会社に行かない。親はすぐに相手を問題視して子供に潜む問題は見ない。
こういうことではこの息子は繰り返し同じ問題に悩むだけだろう。
手を挙げたわけでも、減俸になったわけでもない。
社長を社長と呼ばず何度も「○○さん」と呼んで注意されたらしいが「務めた方位が悪いのか」と言う質問だった。
方位が良くても悪くてもこの問題は同じだ。「わたしが息子さんの上司でも同じことを言います。問題の基本は常識のない息子さんとそれを教えないアンタにあるのでは?」と答えた。相手は「常識のない」が気に障ったのか不機嫌になって電話を切ったが、上等だ。
そもそも名前も言わず「ブログ見たんですけど少し、いいですか」と言って、勝手に相談など吹っ掛けることからして常識のないのが丸見えだ。ブログに「電話相談しない」と言ってるだろうが。
少しでも早く手間やお金をかけないで答えが欲しいという厚かましさ丸見えだ。
息子さんの加害者はおそらく会社でなくこの親御さんだ。
是々非々であって私はいかなる問題でも絶対に相談者の味方するわけではではない。
だからくだらないささいなことまでもすぐに差別だと言う最近の差別ブームには賛成できない。九州の某県の教育委員会が暦に六曜がついてるのが差別から回収せよといった件など何が何だかわからない。
わたしの子供時代も教育委員会はあったがそんな馬鹿げた教育委員会のある地区で育たないで幸いだった。
なにかの強い不安や圧力があればすぐに耐えられないで精神が崩壊する。
まったくプレッシャ―のない世の中はそれに拍車をかけると思う。
無論ブラック企業のパワハラ セクハラなどは問題外だが・・・。
私も一時ちょこっと務めていた時、営業成績が悪いという理由で支店長が竹刀をふりまわして「貴様ら口で言ったんじゃわかんないのか!」と言ったのを覚えている。
今なら大ごとだ。
その時はもし竹刀で叩かれたら取り上げて逆に打ち据えてやろうと思った。
でも、ほんとにやったらいけないのその会社は即やめた。
まあ、そこまでなくても世の中に今でも似たようなことはあるかもしれない。
それは問題外だ。
叱るべきは叱る。
私も叱るときはあまり怒鳴ことはしないが、叱るならしっかりプレッシャーかけます。
そうでないと叱る意味ない。
うちは職場じゃなくて修行の場ですからね。
そもそも修行自体が自分にプレッシャーかけること。
楽しくお気楽でできる修行などない。
逆に言えばあらゆる修行や成長にはプレッシャーは程度問題で必要不可欠だ。