信徒様
「とてもお忙しい中、すみません、宜しくお願い致します。
用件
「すみません、福猫の黒福ちゃんの事なのですが。
大変申し訳ありません。睡眠不安から福猫ちゃん達と添い寝をした事がありまして、普段は違う所にお奉りさせて頂いております。しかし、添い寝を忘れて、タブレットを持って、寝返りを打ち、黒福ちゃんにタブレット置きを当ててしまいまして、左のお耳の所に5?程の傷と擦ったような跡になっておしまい、申し訳ありません、傷付けてしまいました。今は添い寝はしておりません。
黒猫ちゃんに傷を付けてしまい、本当にすみませんでした。
どうしたら宜しいでしょうか。大変申し訳ありませんが、教えて頂けませんでしょうか。
黒福ちゃんを先生の所へお返しするべきなのか、送らせていただいて、修理は可能なのか、この相談料とともにいくらかかるのかお教えください。
画像は必要でしょうか。
何か黒ちゃんに私が出来る事はありますでしょうか。
黒福ちゃんに色々申し訳ありませんでした。
本当に申し訳ないのですが、宜しくお願い致します。本当にすみません。」
羽田
神仏はじめ、こういう過失はまったくお怒りになりません。
信仰の上から丁寧に扱うべきではありますが、特に仏菩薩は法華経に「仏陀は遂に怒り給わず」とあり、私的なことで怒る方ではないのです。
それでは俗人と変わりません。
不心得を戒めるための厳しいお導きはありますが、仏縁や信仰のない人にはそれもないです。
仏菩薩を悪意からわざと誹り傷つければ悪業ができます。その後になにかあってもそれはおのれの悪業の報いでしかないのです。
仏自体がしている事ではありません。
ただし天尊などの場合は実類の眷属たちが天尊を粗末にすることを強烈に怒ることはあります。聖天様はコワイというのもそういうことでしょう。
また実類の自然霊(蛇 キツネ 非業の死を遂げた祟り神などを祈り込めた祠)はよりはげしい我々と同じ心があるのでさらに容赦なく強烈な目に合わせます。
また仏菩薩の尊像には開眼者の性格が盛り込まれているので主に交霊術やお加持で不動尊や菩薩がしゃべるなどするのの大半はそれです。
まあ伝統的な修験の祈祷などにおいてはそれも神仏の意志の範疇に入れていますが・・・