「○○様を祀りたい」と言う人は最近多い。
普通ならうちの講員である以上は十一面様のお札で十分である。
少し前になるがある聖天信仰をしている人(講員ではない)が、十一面様を祀りたいのですが…開眼して頂けまいかと言う。
自分が信仰しているお寺に頼んだらいかがと言ったら、断られたのか、言いにくいのかもじもじしている。
「先生じゃだめですか?」というのみ。
「うちは基本的に講員以外の人の仏像開眼はしませんので。」
何故、祀りたいのかと聞いたがあまりはっきりした答えはない。
ただ「あった方がいいと思うんで・・・」という。
霊狐さんが耳元で「仏は足りている。足らないのは拝む心だ。」
そのままはいわなかったが
「専門の聖天行者であれば十一面観音を奉安することもあるのですがそれは主に前行に本地供と言う密教作法をするためです。十一面さんは密教の変化観音ですからね。
あなたは行者さんじゃないからそれ、いらないですよ。
どうしてもと言うなら焦らずに縁が熟す時がきてからでいいでしょう。」
と言って諦めてもらった。