お盆や彼岸ってそのルーツはともかくやはり日本では霊界とのつながりが濃くなる時期。
急に亡くなった人を思い出したりする。
それはあちらからの呼びかけもあるのでしょう。
ドイツの心理学研究ではやはり個人が亡くなって3年間とか7年目には遺族や知人は強く死者を思い起こすという傾向にあるという研究報告があるそうです。
そういう行事をする時期が一年の内にある国は幸せだと思う。
死者をしのび供養することは実は自分もなぐさめ供養することにほかなりません。
そうやって我々は今はなき人々の住む見えない世界と霊的なエネルギーを通わす行事をしてきたのです。
なかには霊能者の先生に何代前が浮かばれてないので供養しなゃ大変だといわれて・・・などと言ってくる人もいるけど、たしかにそういうこともあるだろう。
実例もいっぱい見て体験してきた。
それにしても、「クソゥ、こいつが祟ってるんだな!」というやさしさの片鱗もないやっつけ仕事みたいな気持ちの供養はいくらお金かけても供養にならない。
中には昔、「先祖霊が祟っているというので、その霊を調伏して封じ込めてくれ」と言われ驚いたこともある。
親族を自分が殺したりでもしなきゃそんなことはありえない。
一香一華、心を載せれば供養となり、千僧供養をしても心がなければ届かない。
先祖の祟りというのは基本的にありえない。先祖は子孫を見守るもの。
何かの事情でそれができないと子孫は守られないことになる。
そればかりか逆に救いを求めている。それが良くない事象として現れて来る。
そういうこともありましょう。
それを祟りと表現する人もいるのかもしれない。
だがそれは日本語の間違いだ。
祟るというのは積極的に災いをすることを言う。
彼らはひたすら供養という繋がりを求めているだけです。
どんな境遇にあれ子孫の繁栄を願っている先祖から悪意のある祟りなどはあり様はない。
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