生駒山を開山した湛海大和尚は、聖天様を長く信仰されていたが、ある時戒律に目覚め不動明王の行者になることを誓った。
いわゆる聖天様を一度捨てたのである。
その後聖天様との間に色々な葛藤があったのだがあるとき、病気になったり、様々な悩むことが起こった。
そこでこれは聖天様が恨みになっているからであろうと願文を認めてお経を唱えて許すようにお願いをした。
するとその晩に夢を見たが、その中で聖天様は信仰する者すべてに通じるとても大切なことを告げている。
それはかいつまんで言うとこういうことである。自分が湛海大和尚だと思ってよんでください。
【お前(湛海大和尚)は苦しむことがあるとこれは聖天様の恨みのせいだ。これも聖天様の仕業だと悪い事を我(聖天)に押し付けるがそれは大変な過ちである。
我は以前にはお前を恨んでいたが、今はもうそのようなことはない。
お前が菩提心に目覚め、戒律を守っているのを我が嫌うと思うか、嫌いはしないぞ。
人間一人一人が悪業の報いを受けようとも、そのことについて我はどうすることもできないのだ。以下略】
人間は何か悪いことがあるとすぐに何かのせいにする。それは原因が分からないと不安であるからだ。
しかし、聖天様のみならず、何か悪いことがあっても神仏のせいにするのは間違っている。
それは聖天様が告げている通りである。
前に佐保田鶴治先生のお話を書いたが、私たちがそれぞれの行いにより受けることは、神仏が全て消すことはできない。
ただしクッションになってくれるので、相応に緩和されるのである。
そこで自らに起こったことに気がついて、懺悔滅罪し、功徳を積んでいくことで自らが変えていくのである。
佐保田先生の記事については下記参照
「神様と連絡をつける」
https://oomorigijyou.hatenablog.com/entry/2021/06/30/153115