一応七夕祈願も終わって、買い物や銀行に用もあったので、午後はオフにして
ハリウッド版の最新ゴジラ映画「ゴジラvsコング」を見ました。
ここに出てくるコングは手話を操り、戦うのに道具を使う存在、ともに語らう友人・人間の少女もいる。現れたゴジラに対する人類の希望ですらある。
人間同様豊かな感情を持ち、サルというより原始人的な心や豊かな感情を持っている。
方やゴジラは索敵本能で天敵のコングを仕留めようと神出鬼没。つながり
巨体からぶちかます攻撃と放射能火炎が武器の驚異の生き物だ。そしてその心は誰も知らない。前作ではモスラと一種の共生関係にあったが、なにかそこに感情らしいつながりがあるのかは全くわからない。
相手の動きが止まればそれ以上、敵は倒れたとみてそれ以上無駄に攻撃しないきわめて動物的な存在。そして伴を絶したきわめて孤独な存在だ。
したがって私が見るにこの二つの怪獣の戦いはほとんど、人と人ならざる者の戦いでもある。
人はコングのように我々に近しい存在に好感を持つのか、ゴジラのような我々人間とは全く異質で強大な存在へのある種の畏敬の念を抱くか否かで、この二大怪獣のファンは大きく分かれると思う。
この映画のコングはとても魅力的で可愛くさえあるが、私はやはりゴジラ派である。
いわば、人間の共感や友情以上に自然に潜む秘められたる未知の可能性を期待したい人間なのだと思う。
とかく怪獣映画というと回を重ねるたびにいつの間にか、怪獣が人類の味方、あろうことか正義の怪獣なんて奇天烈なものになってしまう。
怪獣に人類も正義も善悪も関係ない。
怪獣がたまたま他天体から来たインベーダーを倒そうが、世界征服を狙う悪の組織を壊滅させようが、われわれのためなどでは毛頭ない。それは怪獣自身の敵への闘争本能や利益不利益でしているにすぎないことだ。誰のためでもない。
私にはそこがとても気持ちいいのだ。
究極の善事とは実はそういうもののような気がする。
おためごかしの正義など歯が浮く。
そんなわれわれの価値観の外にあってこその怪獣だ。
そこが怪獣の真の魅力であり、本来の人間の価値観を持たざるものからの重要なメッセージとして描かれるべきものだと思っている。
そして、それこそが怪獣映画の価値だ。
だから私に言わせれば擬人化した怪獣などは邪道である。飼いならされた犬のような怪獣などでかい家畜に過ぎない。
その点私的にはハリウッド版のシリーズはいまのところ合格であるが・・・
一応、モンスターバースシリーズはこれから先の作品は予定されていないというがゴジラが正義の怪獣などと言うはなもちならないものにならないことを心から願う。