祈願をしていると人生の交差点を感じる。
闇に徐々に呑まれ沈んでいきながら必死で手をつかんでほしいと願う人。
もう、ここからどこかへ新たな旅立ちをしようとしていこうとする人
勢いよく飛び込んできて、ただ、すれ違うだけだった人もいる。
人生の交差点
結局力になれなかった人も大勢いる。もちろん同じように力になれた人だっている。
でも力になれた場合でもそれですべてがOKな訳でもない。
未来は果てしない。
一つの通過点をうまく通り過ぎたに過ぎない。あとは成功してもしなくても
名前があろうがなかろうが、お金があろうがなかろうが 人が慕おうがそうでなかろうが…どんな人生でも最後の最後、死んでいくのは皆同じ。
だからうまくいったようでも、していること自体はそれは極めてわずかなことなのかもしれない。
それでも、それはそれで必要だったのだろうと思う。
色々な人がいる。
だが私の出来ることは限られている。
いったい自分はなにをしているのか。
何にしているにしてもきわめてわずかなことだ。
それをしたらあとはただ見つめていくしかない。
どんなであれ、それはそれでわが役目と思っている。
それでよしと思う。
結局は果てしない輪廻の旅に備えて「仏縁の種まき」をしている。
していることはそれ以外ない。
「大通結縁」という。過去から未来への仏縁の種まきだ。
もっとも大事なのもそれだ。天台法華の教えで言う「大通結縁」は釈尊や賢聖衆のみならず、すべての大乗の菩薩たちに言えることだ。私のような下根劣慧の名前だけの菩薩にさえも。
そこに迷いはないし、たとえあったところでもどうもならない。
だから有体に言えばそんな迷いなどあってもなくてもどうでもいいのだ。
人の祈願を長くしていてそう思う