実類と権類とはどういうことか。
例えば聖天尊も権類は仏菩薩の化身で女天は十一面観世音、大日如来という。
権(かり)に仏菩薩が天部の姿になっているという考え。
実類は実際の鬼神。毘那夜伽王。毘那夜伽女。
実類は気難しく、扱いがむつかしいが利益も著しいという。
つまりインド由来の鬼神そのものを言うというのが普通の解釈。
果たして権実二類とはどういうことか?
風狐さんが言うには
「権類も実類も体としては同じだ。仏法に帰依しているものが権類。そうでないものが実類と呼ばれている。仏法に帰依する天は仏法を慕い仏戒を受持する故、内道場まで入れる。曼荼羅の聖衆ともなる。
その違いを知りたくば想うがいい。
人間に権類実類はあるか?と。
それを考えればわかることだろう。
阿闍梨とて凡夫と体は同じだ。
投華得仏して本地が定まるが、二種類の人間がいるわけではあるまい。
煩悩多くして瞋恚すれば実類、仏界に帰順して上求菩提下化衆生に努めれば権類の働きだ。
浴油とは実類の煩悩を抑え、権の境涯に引き入れるため灌頂のかたちをとるのだ。
悉有仏性を言えばすべてが権類 同時に鬼神の体を言えばすべてが実類だ。」
私 実類を実類として拝むとはどういうことですか?
風狐 実類という名の権類だ。完全に実類なら仏法の供養を受けようとしない。
実類は実は権類の極みだ。ゆえに煩悩即菩提、善悪不二の境涯で縦横に働く。
人間の仏教者でもそこまで活殺自在の働きをするのは難しいだろう。
魔王の働きをもって菩薩行をなすということだ。ゆえに難しい。
もっとも已達ノ行者が拝むべしとはそういうことだ。
私 なるほど・・・私などは程遠いな