金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

十非心 その6 天道

六つには その心念々に三悪は苦しみ多く、人間は苦楽相間はり、天上は純ら楽なリと知って、天上の楽の為め六根を関して出さず、六塵を入らざらしむるは、これ上品の善心を起して天道を行ずるなリ。」

 

地獄 餓鬼 畜生は苦の世界。人間はそれよりはいいがそれでも苦楽が半々。

だが、天上界に生ずればそこは絶対的に楽の世界であるとして、そこに生ずるために世間の楽しみを遮断して苦行に励む。

インドの伝統的な苦行者の世界。

 

一日中砂に埋まってたり、逆さにつるされていたり・・・今でもそういう苦行をすること。

今でも釈尊の時代のバラモンたちと変わらないでしている人たちがいます。

彼らは苦行することで永遠の楽園である天界に生じると考えています。

それでこの世の楽しみなど打ち捨てて天に生まれるための苦行をする。

死さえいとわない。こういうのを仏典ではしばしば大仙(リシ)という。

まあ、先の苦しみは後の楽に変わるという考え。

そういう苦行で信仰を偉大な神々に捧げれば死後は天に生まれると考えます

釈尊も最初はそうした修行者のなかまに入って苦行を積んだといいます。

 

でも実際はこういう人たちの多くは実際は死後も似たようなことしています。

仙界という苦行者の世界。

 

それで釈尊はそこに気が付いて離れた。

「苦行は悟りの因ならず」と。

また仏教では天界は六道のなかでは最も自由で寿命も長く、神通力を備えますが永遠の世界ではない。

寿命も尽きればまた他所の世界にも輪廻に赴く世界「娑婆」です。真実の解脱の世界ではない。

天界は仏教では善行多き人の生まれるところとされますが、いまだ善悪二元を離れず、その悟りは深いものではないのです。ただし輪廻する世界の中ではもっともよいとされていいます。

天界には大きく分けて二層あり。欲界天と色界天です。

欲界天では我々とその住人の性格には大差なく、いまだ煩悩をはなれず人と変わらず三大欲望などもあり、戦争などさえあるといいます。ですから圧倒的な力はあっても我々と大差ない。

ちょうど江戸時代のレベルを人間界として比べれば現代の私たちは天界の人々のような暮らしをしています。

でも相変わらず悩み自体は質は変わっても少しも尽きていないし、国際紛争も頻発すしていますよね。基本は変わらない。

この欲界天は六段階あり、一番上の天界はなんと「第六天魔王」の住む世界です。

究極の楽と何か。この世界では人の楽を奪っておのれの楽しみとする。

この天界の衆生はもっぱらそうしている。

この故にこの世界を「他化自在天」というのです。

 

まあ、究極の人間の快楽とは突き詰めれば他人を自分の思うがままに自由にすることなのかもしれない。まあ、でもそれは善行ではなく三悪道に堕する因となります。

 

色界天は基本的な欲望から離れた分、幾分解放されますが、まあずっと瞑想状態のような状況の世界です。

仏教では梵天王の支配する世界です。色とは物質の意味です。

いまだ微細な物質はあるが欲望は少ない故にそう呼ぶのです。