金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

荼枳尼天がなぜ狐に乗るのか

前に霊狐さんから孔雀明王について孔雀の上に菩薩像が乗るが、あれはダミーで本当は下の孔雀が本体と言われたことがある。

いい加減な話のようだが、ビシュヌ神は迦楼羅に乗るが実は迦楼羅が下に属するというわけではない。

そのためにビシュヌは迦楼羅の旗を自分の上位に掲げる。

すべてがそうであるとはいわないが、荼枳尼天も同じことだ。

狐に乗る天女が荼枳尼天で狐は部下かと言えばそうとはいえない。

霊狐曰く「あの狐の上に載っている天女はお前たちにわかりやくいためにそうしているのだ。お前たち人間は狐だ動物だというと頭から軽蔑してかかるからな。

いってみればその人間様が狐を拝む方便で作り出したのがあの天女の姿だ。

そんなものは方便でもとよりありはしないのだ。

ダキニは詮ずる所「悉伽羅野干」で狐の精だ。だから本当は上も下も同じものだ。ゆえに能乗所乗所依一体だ。」といわれた。