善龍庵 大森先生
この度は盂蘭盆会の修養をありがとうございまし。
お礼を申し上げるのが遅くなり失礼いたしました。
今回は、お詣りを始める前から家の水回りの故障やら身体がなんとなく重いやらが続いて上手く集中できなかったように思いました。
暑さや年齢によるものかもしれませんが、今までのお施餓鬼供養とは違う感覚でなんとも重い感じがつきまといました。
また、私の住んでいる家は古い家なので台所に蟻がでて殺生をしたくないと思いつつもせざるを得ず、なんともやるせない気持ちにもなりました。
そのような中でも気づきを頂けたように思います。
お詣りをしているのに殺生をしている自分、また、怒りの根本に目を背けていた自分にも気づくことができました。
怒りや恐れの中にいる自分に気づくことですべての根源は一緒であるということに漠然とですが改めて気づかされました。
上手く説明できないのですが、試されているような、今まで表の面から見せて頂いていたものを裏の面からも見せて頂いたような・・・。
「こういうことか」と思う気づきを運転しているときなど何気ないふとしたときに感じるのも不思議でした。
仏様も苦手なあの人も私も殺してしまった蟻も皆、根源は同じなのだと。
まだ台所に蟻は出るので殺してしまっていますし、何かが急激に変わった訳でもありません。
ただ、なんだか私たちはままならないなぁと思いつつもそれでも一年前の今頃に比べたらとてもありがたい状況だし何より生きている私ってすごいなと感謝したり。なにか新しいお題を頂戴したようにも思えたり。
また、今回の盂蘭盆会でお詣りした人の中でこの人はまたお施餓鬼供養をさせてもらった方がいいなと漠然と感じたり。
この文章と同じようにこれらのことはまだ私の中でとっちらかったままですが、とにかく感じたことを素直に受け入れようと思ったり。
このような次第で上手くまとまりもしませんしお伝えすることもできないのですが、また施餓鬼供養を続けていこうと思う次第です。
長文、乱文失礼いたしました。
そしていつもありがとうございます。
大森先生、同行の皆様に感謝申し上げます。
合掌
写真提供 愛知県の M さん