金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

菩提心

菩提心とは悟りを求める心と辞書にはありますが、本当は大乗仏教でしたら「一切衆生とともに」というのが入ります。

必ずしも「修行して仏さまになってから皆を救おう。皆さん待っていてね。」というのではない。

それでは時間がかかりすぎる。

上求菩提下化衆生

だとすればこの下化衆生は仏陀となって教え導く意味ではない。

 

未完成な菩薩のままでもいい。

大乗はそう言っているに違いない。

むしろ安易に仏陀になっただの、悟っただのと怪しげなことは言わず、未完成の菩薩となって菩提を願う。人々や生き物を安んじることもしていく。それが菩薩の生き方。

その大乗の生き方こそ、悟りというゴール以上に本当は大事なのかもしれない。

だから未熟でもいい。未熟に決まっているのだもの!

未熟者だということさえ忘れないならそれでいいように思います。

わたくしにおいてはそのように思っています。