菩提心とは悟りを求める心と辞書にはありますが、本当は大乗仏教でしたら「一切衆生とともに」というのが入ります。
必ずしも「修行して仏さまになってから皆を救おう。皆さん待っていてね。」というのではない。
それでは時間がかかりすぎる。
上求菩提下化衆生
だとすればこの下化衆生は仏陀となって教え導く意味ではない。
未完成な菩薩のままでもいい。
大乗はそう言っているに違いない。
むしろ安易に仏陀になっただの、悟っただのと怪しげなことは言わず、未完成の菩薩となって菩提を願う。人々や生き物を安んじることもしていく。それが菩薩の生き方。
その大乗の生き方こそ、悟りというゴール以上に本当は大事なのかもしれない。
だから未熟でもいい。未熟に決まっているのだもの!
未熟者だということさえ忘れないならそれでいいように思います。
わたくしにおいてはそのように思っています。