この方はもともと毒舌のコメントが売りだろうが今回は言い過ぎというより、もうそういう毒舌で人気とる時代は終わっているとしっかり認識すべきだ。
個人的にもいささか横柄で口が過ぎるのであまり好きな方ではなかったが、世間は容認しているんだなと思っていた。
だが、これという鋭い論点からの意見なくして、ただ口が悪いだけの人物をもう世間は評価しない。
河村市長もああいうバカげた度を越した悪ふざけは「そういうキャラクターだから」ではもう通用しない。
ただの悪ふざけでは済まされない。
ただしである。そうであったにしても、こうした過ち探しが過去の過去にまで及ぶのは私は賛成しない。
考えてみたら国民的な映画と言われた「フーテンの寅さん」だって、今、現代の感覚でいえばセクハラ・パワハラ・差別発言ととられかねない言動は全編あふれている。
私は別に寅さんファンではない。当時でも私的には感心しないと思う表現もあったので寅さんを手放しで好きというほどにはなれない。
しかし、だからといって過去にまでさかのぼって山田洋二監督を非難するとか、「寅さん」がテレビ放映禁止になるような世の中は素晴らしいとは絶対思えない。
大いに反対する。
私も目くじら立てて「寅さん」を見ないわけではない。
寅さんシリーズは日本人の情緒や人情に深く触れる部分有らばこそで、作品中連発するギャグなどは実は刺身の妻のような物だと思う。少なくとも、主演の渥美清さんが亡くなるまでの時代はあれで共通了解がとれていたのだ。
もし、それがいけないというなら面白おかしく見ていた人にも罪があることになる。
文化大革命みたいにどこまでもさかのぼってあれもこれもと総括し、学者や文化人や芸術家などに三角帽子をかぶせて自己批判を要求するような世の中は危険きわまる。
それは今という時代が行う高慢な暴挙でしかない。
人はいろいろなプラス・マイナスから学んで進んだきた存在だ。
社会も同じだ。