よく色々なところで「感謝」は大事と教えられる。
「ありがとうございます」とよくいえという。感謝の心を表す。
感謝の気持ちを表現する。
「神様仏様ありがとう」
「ご先祖様ありがとう」
「じい様ばあ様ありがとう」
「お父さんお母さんありがとう」
「奥さん(だんな)にありがとう」
「子供や孫にもありがとう」
「友達同僚ありがとう」
「先輩、上司にありがとう」
「ワンコにニャンコありがとう」
「花瓶のお花もありがとう」
確かにこのように言うことも大事ですが、感謝が本当に力になるのは
「ありがとうございます」という特定の相手への言葉から「ありがたい」という認識に変わるとき。
誰に言うともなく「恵まれている自分」を見出す言葉。
それが「ありがたい」
「ありがとう」と言いつづければ、その言い続けている自分はどんな存在かおのずとわかる。
ただ口先の言葉で「ありがとう」と言っているだけでは「ありがたい」は生まれない。
西行の言った「何事のおわしますかはしらねどもかたじけなさに涙こぼるる」
神道的に言うなら「祓い給い。浄めたもう」
「祓い給え 浄めたまえ」ではなく、神は常にそうしてくださるという認識。
いってみればそれが信仰の力だ。
力になるのは気持ちではなく認識だ。