金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

感謝が感情から認識に移行するとき

よく色々なところで「感謝」は大事と教えられる。

「ありがとうございます」とよくいえという。感謝の心を表す。

感謝の気持ちを表現する。

「神様仏様ありがとう」

「ご先祖様ありがとう」

「じい様ばあ様ありがとう」

「お父さんお母さんありがとう」

「奥さん(だんな)にありがとう」

「子供や孫にもありがとう」

「友達同僚ありがとう」

「先輩、上司にありがとう」

「ワンコにニャンコありがとう」

「花瓶のお花もありがとう」

確かにこのように言うことも大事ですが、感謝が本当に力になるのは

「ありがとうございます」という特定の相手への言葉から「ありがたい」という認識に変わるとき。

誰に言うともなく「恵まれている自分」を見出す言葉。

それが「ありがたい」

「ありがとう」と言いつづければ、その言い続けている自分はどんな存在かおのずとわかる。

ただ口先の言葉で「ありがとう」と言っているだけでは「ありがたい」は生まれない。

西行の言った「何事のおわしますかはしらねどもかたじけなさに涙こぼるる」

神道的に言うなら「祓い給い。浄めたもう」

「祓い給え 浄めたまえ」ではなく、神は常にそうしてくださるという認識。

いってみればそれが信仰の力だ。

力になるのは気持ちではなく認識だ。