『施諸餓鬼飲食及水法(せしょがきおんじきぎっすいほう)』にもとずく、略さずに修する施餓鬼供養には広大な功徳があります。
私は高校生の時に浅草寺の貫主であった故清水谷恭順大僧正の文章を読んで、とても功徳がある施餓鬼供養に関心を持ちました。
とはいってもお寺に行って「施餓鬼供養してください」と頼んでなかなか依頼を受けてくれるところはありません。何しに来たんだとおい返されるのがオチです。
しかし願えば通じるもので、後年この法を真言宗の僧侶となるための四度加行のときに伝授をうけました。
そのあと、この流派の許可灌頂を授かってから二度目の伝授を受けました。
それから数十年も修行していると不思議なことがあるなぁと実感します。
私の恩師の大阿闍梨も毎日同じ修法をしておりました。何でもそうだと思いますが積み重ねるということは大きな力を生み出します。
さて施餓鬼供養は本来は東方に向かって拝むことになっています。(施主各位に送る追善供養法はどちらを向いて拝んでも構いません)
東方を向けない時はそちらの方を向いてると思って拝みます。これを運心(ウンジン)といいます。
東方は一切鬼神の主である伊舎那天の方角です。
餓鬼もまたその配下でありますので東方に向かって拝むと伝えられています。(他の理由もありますが今は略します)
このメールを送ってくれた方は餓鬼が東方に去っていったと書いてありましたので符合しております。
餓鬼は自分が供養してもらえるということを察知しているのです。律儀なので挨拶に来たのですね。鬼神の類は人間よりよっぽど恩を知っているので、忘れないで後でお礼もしてくれます。
たまにですが施餓鬼供養や他の供養を申し込みますと言ってきて、申し込まない人がいます。
しかし、餓鬼やご先祖様はちゃんと約束を反故にしたことを知ってますよ(笑)
ここから頂いたメール
大森先生
こんばんは。いつもありがとうございます。愛知県の○○○○です。
お施餓鬼を現在お世話になっているところですが、始まる前日の深夜に寝ている私の枕元に餓鬼と思われるヒトが木札をガチャガチャ鳴らしてました。
その音で起こされ、私は動かずにしばらく目を開けたままガチャガチャを聞いていました。
ずいぶん前の先生のブログに、餓鬼は供養の貰えるところを察知して、そして喜ぶ。みたいに書かれていたのを思い出しました。
結局、賑やかに木製のガチャガチャを20回ぐらい鳴らして、東の方に音をさせながら去って行きました。
深夜、暗闇の中の出来事で音だけの判断でした。
姿は、寝返りをしなかったのでわかりませんでした。ガチャガチャ音をさせながら去って行った時は、結構足が早いと感じました。
私は、霊感はありません。初めての事でしたが全く怖くありませんでした。なんかうるさいけど憎めないヒトでした。