信仰はやめたのに縷々連絡やお手紙をくださる方がいる。
何故だかわからない。
はっきり言って去った人には何の興味もない。
良くも悪くもゼロだ。
人によっては第三者にこんな手紙を出したというような写しまで送ってくる。
私に関係ないのにね。
読まないで捨てます。人さまへの手紙ですもの。
だから返事も出したことはない。これからもしない。
まがりなりにも返事をすることは一つの責任を伴うと思うからだ。
なんとも思わないし。その方がどこでどうしていようと何の興味もない。
それを知っても「ああ、そうなの」でおわりだ。
死んだとか、病気したと聞いたら「あらあら、お気の毒に」くらいだ。
まあ、人として願わくは「よろしく生きて行ってください」くらいの気持ちはある。
個人的興味で授戒や祈祷をしているわけではないから当たり前のことだと思う。
冷たいですか?
しかし、これは普通の人のごく普通の感情だろうと思う。
愛や慈悲はないの?
愛や慈悲はあっても別にそれが無限に溢れているわけじゃない。
線引きの外のことまでは及ばない。
そういう線引きは私は大事にしています。
それは私自身の決めた活動スタイルを大事にしていることと同じだからです。
そうでないと自分のありかたを自分で崩すことになる。
そういう愚行はしたくない。