望んだことがかなわないのは業のせいだと考えて、少し修行して業を変えたいと思うこと。
それはいいことではあるが行の目的は仏の御心に近づくことだけだ。
ほかにはない。
目的がかなうかどうかは別なこと。
はっきり言ってそんなことをしてもおおむね徒労だ。
たとえ業がなくなっても縁のないものは叶わない。
例えば、どうしても結婚して欲しい人がいるから真言100万遍唱えるなどと言うのはすすめられない。
結果断られれば神仏を恨む。
そんな約束はだれもしていない。勝手に決めて勝手にすべっているだけ。
愚かなのはそれじゃ200万辺唱えてやるという。無駄です。
准胝独部法の様にこれこれこうせよと儀軌に記されていないことを勝手にやっても無駄。
目的のために艱難辛苦するのは行ではないです。祈願の一形態でしかない。
そこを見誤ると仏さまに騙されたような気になるがそれは大きな間違いです。
例えば歩いて四国巡りをする。
病気を治してくださいと言って回るのは祈願である。
それ自体はけっこうなことではあるが行ではない。
全部、艱難辛苦で歩いてもそれは祈願。
行はほとけ様に近づきたい心でする。ほかはない。