本尊にお祈りするのに「入我我入」した方がいいのかとの質問。
少し密教の知識がおありの方でしょう。
この「入我我入」は平等観・入三昧事という言葉でも知られる。
密教の一番核の部分です。
在家はしてはだめ?
いいえ、そんなことはない。密教を知らなくてもむしろその心でありたい。
何の御祈願であれ、それがよく届くのはこれが自然と入我我入になっているからです。
要するに仏と一体になる。
大いに結構ですが・・・
ところがこれ勘違いして仏と融合して祈願をかなえる方法と思っている。
とかく自分を仏に押し付ける。入我我入は仏と我と彼此相摂する境涯。
悪く言えば仏をコントロールする技術と思っている。
いかに印・真言に力ありといえどもそれはできない。
だからこれをしたいならまず仏の意思や声を聞こうする気持ち、全身で感じ取る受け身な姿勢から始めないといけません。
そうでないと何年たってもできない。
数々秘法を受けて伝法阿闍梨になっていてさえも、そこがわかっていないと本当に効験のあるご祈祷は難しい。
でもやろうとすれば一信徒でもできる。
仏の前に受け身になることを信仰という。