今は悪口や誹謗中傷で自らを追い詰め命を落としてしまう人が後を絶たない。
とりわけ子供さんの場合痛ましく無念だ。
誹謗中傷しているのも子供だからやりきれない。
悪口や中傷はいつの時代でもある。
お釈迦様の時代もあった。
様々な宗教がせめぎあう社会だった。
面白いことに全く違う宗教よりより近い宗教の方が誹謗中傷は多い。いまもむかしもそうだ。
イスラムも派の違いだけで殺し合いだ。
神だ仏だといっても所詮人間のすることはおんなじ。
覚者と悟りというのもインドでは仏教の専売特許では無かった。
色々な宗教にそれなりの解釈があったし、少しずつ違った。
甲論乙駁。単なる議論でなく誹謗中傷までもあるのは今も変わらない。
「お釈迦様、ある方があなたのことをこんなに酷いこと言っていますよ!どうします?」と知らせてきた人がいた。
いつの時代でもそういう無用なことを知らせておいていかにも心配そうに内心面白がっているくだらない人間はいる。
さあ、おしゃか様はどういうだろうと興味津々だ。
「あなたがプレゼントをした人がいたとして、もしも相手が受け取らないとしたらそのプレゼントはどうなる?」
「それは・・・わたしのものでしょう?」
「そうだね。だから私もそれは受け取らない。」といわれたとか。
なんか言われてもあれこれコメントなんかいらない。
世の中いろんな奴がいる、いちいち相手にする義理はない。
人間は評価で呼吸して生きてるわけじゃない。
自らにやましいことがないなら、そんなつまらない人間の意見なんかよりも、わずかなお金や食い物の方がはるかに大事だ。
そもそも人の悪口を言いたい人って負け犬だからね。怖くない。負けてるから吠える。
みじめだから人もくさしてヤットコサ安心する。そういうみじめな奴らだ。
あきらかに負け組だ。負け犬にかまれて死ぬなんてバカらしいよね。
だからこういうことで死んでしまう人を聞くと、死ぬ前に野性動物を見てきてほしいと思う。
普段、動物に関心ない人はよく見ていないから小鳥や動物が楽しそうに野原や林でくらいしているように見えます。
でも実際は違う。
彼らは毎日毎日が明日があるのかもわからない生活をしている。
食べ物がない日もある。住処をおわれることもある。
親や兄弟・子供が他の生き物に襲われて食べられたり、人間に殺されたりもする。
優しくかわいく見える森の小鳥やリスもそういう一瞬たりとも油断が許されない殺戮のはざまに生きている。毎日。
でもたぶん毎日普通に生きてるように見えるよね。
彼らは言うだろうね。
「え、悪口ってなに?そんなに怖いもの?それって即死します?」