良寛さんは江時代の禅僧《曹洞宗》
こんな歌を詠んでいる
仏さまになった気持ちで読んでいる歌です。
仏の言葉
お前はお前で丁度よい
顔も身体も名前も姓も
お前にそれは丁度よい
貧も富も親も子も
息子の嫁もその孫も
それはお前に丁度よい
幸も不幸も喜びも
悲しみさえも丁度よい
歩いたお前の人生は
悪くもなければ良くもない
お前にとって丁度よい
地獄へ行こうと極楽へ行こうと
行ったところが丁度よい
うぬぼれる要もなく 卑下する要もない
上もなければ下もない
死ぬ月日さえも丁度よい
仏様と二人連れの人生 丁度よくないはずがない
丁度よいのだと聞こえた時 憶念の信が生まれます
南無阿弥陀仏
これは絶対的自己肯定です。
これに比べれば我々は何が不足だ。何が足らない。もうちょっとこうであればとか言います。あの時ああしていればと思います。
でもそんな自分はどこにも存在しない。
好きだろうがきらいだろうが今現にある自分だけが本当であり、その肯定から始まらねば出てくるのは全部嘘、かりそめの妄想です。
良寛さんは優しい歌を詠まれていますが、これは実は禅宗お得意の「喝」とみました。
最期に南無阿弥陀仏と結ばれています。これは良寛さん独特です。
曹洞宗には浄土信仰 念仏信仰は存在するわけでもなく、宗祖道元は否定的です。