うちには動物が多くいる、猫もたくさんいるし、犬もいます。
職業行者になりたい人にはお世話必須の課題にしています。
犬でも猫でも自分の都合だけで可愛がる人はダメです。
その一方、忙しい時は邪魔だと言って𠮟りつけ怒鳴る。放り出す。
鳴いているのは何か言っているのに無視する。
暇なときには気分で可愛がる。
そういう人は犬猫だけじゃない。人も大事にできないから、少なくとも御祈祷の仕事は無理な人間とみなしている。
何年いようが無理。頭が良くても。山に何十回いってもダメ。
行者の仕事は学問だの、山だの、が相手じゃない。
これは生き物としての人を相手の仕事だから。
どこか大きなお寺の祈願の役僧なら本当に拝むだけでもいいでしょうけどね。
「仏道を学びたいのであって、そんな犬猫の世話は関係ないでしょう。」という人は仏教大学のスクーリングにでもいけばいい。
うちはそういうところじゃない。
学問として学びたいだけなら私みたいな勉強大嫌いな頭の悪い人間に聞いても土台無理。子供のころに「もしも、生まれ変わりがあるなら何になりたい?」と聞かれ「人間には二度と生まれたくない。学校あるから。」と答えたくらいだ。
拝む仕事においては自分がどんな気持ちでいようが、感情がどういう状態であろうが同じ心で人を迎えないといけない。自分の心の状態は相手に関係ない。
そういう心を養うには犬猫修行はいい修行です。