企業を立ち上げ大変な額のお金が入る。
一躍音楽界でやっていける。
医大でトップレベルの成績に輝く。
当院でも浴油しているとそうした人も出てくるのが聖天信仰の不思議。
別に当院だからでなく、聖天様の祈祷する寺には大概その手の霊験談はつきものです。
だったら私も!と思うのが人情ですが、そこは基礎つまり種があってのこと。
会社の運営もしたことない人がいきなり儲けを出すのは難しいし、
日頃、楽器や歌の練習もろくにしていないのに音楽では到底生きていけない。
学業もうまずたゆまずやるからこそ結果が出る。
だからそういう基礎や才能の種がない人は聖天様に祈れば
会社経営ができない人は別な方向へ導かれ
音楽好きなだけで不得手な人は趣味でいいということになり
勉強の好きでないひとはそれなりの見合った進路へ
というのが本当なのです。
種と言ってもいろいろある。
種は撒き様、生かしよう、考えようででいい悪いはないのがホントだ。
何にもないと思うなら種から作ればいい。
それは努力精進しかない。
なんにもなくてもそこから尊天にお守りいただく手もある。
でも精進努力自体は自分がすること。そして自分を知ること。
世間の成功に惑わされ、周囲の価値観に依存して自分に合わない種をまくのはダメ。
そこを欲に任せて、真逆に法外なことが叶ってしまってからしまった!しくじった!となるのはビナヤキャ信仰。
経営のノウハウないのにいきなり社長に就任。
学力ないのに一流大学へ合格してしまった。
英語もろくにしゃべれないのにコネができて大手商社に入社してしまった。
リーダーシップなんてないのに何かの拍子でリーダーになる。
こういうことはたとえ起きたにしても不幸の種でしかない。
逆に大きな御利益のある人はすでに素晴らしい種は持っているんですね。
聖天様はそれが順当に伸びて台風でダメになったり、日照りで枯れたりしないよう育ててくれる。そこは聖天様です。
どんな種を持っているのか、自分でよく見きわめないと、自分という土壌に合わぬ種をまけばその樹木は生育できない。枯れてしまう。
よく言うんですけど宝くじあったら会社作るのが夢なんてのはダメです。
会社運営できる人はその資金が作れる人だけ。