聖天信仰は始めたら何らかの形で続けていかないといけないものと昔から言います。
これは別に私がいうわけじゃない。
例えば大きな御祈願で大きな結果が出たら御礼祈祷はもちろんのこと。
もういいやではなく、小さな御祈祷を続けるとか、よく足を運んでお参りするとか縁を絶やさないでつなぐことはとてもとても大事です。
それはなぜか?聖天様は信者さんとともに生きる俱生神だからです。
ともに生きる神。
俱生神ならほっておいても一緒じゃないの?という人もいますが俱生神はもとよりいる神。
それが発動するのはひとえに認識によるものです。
聖天様との出会いは故あっておさないうちに離れ離れになった親と子がはじめて出会ってなのりをあげるようなもの。
でもそこを認識しなければ赤の他人のままでしょう。
心の親である聖天さんに出会ったらもう他人行儀はいけません。
私の姉弟子が霊感系の新宗教をしている友達から誘われた。
彼女は霊能者だった。
「あんたみたいな人が普通の仏教の寺信仰なんかじゃもったいない。もっと大きな使命があるはず!うちに来て話聞いたらいいのよ。」といわれたけど、彼女はその言葉にかまわず
「よそにもいい教えはあるかも知れないけど、私の信仰のお父さんは聖天様です。お母さんは十一面様です。よその子ににどんな素晴らしい親がいても、自分には自分の親が一番でしょう。代わりはいないもの。」と返したとか。