昨日、ある仏像の購入について。
先祖に関係ある神様の本地だから祀りたい。
仏像は不空羂索観音
春日明神の本地だ。通説では春日明神はタケミカズチノミコトである。
この人は藤原氏ではないけど・・・武御雷命と自分の先祖の一族の神様、手力男命は同体説があるからという。
そこの同体説は寡聞にしてしらないが、それはあくまで武御雷と手力男の話である。
不空羂索が本地なのは春日明神でしかない。手力男と不空羂索は関係ない。
たとえば手力男をまつるという戸隠山ではその本地は釈迦如来だ。
同じように記紀ではともにオオナムチという同じ神でも赤城大権現と二荒山大権現は相争う神。
つまりは赤城山神と二荒山神を聞きに引き当てればオオナムチというだけのことで実際は違うと思う。
春日明神も関東では鹿島明神だが本地は十一面観音であり、不空羂索ではない。
春日明神と鹿島明神は働きは違うのだ。
私は先に土地に根差す神社信仰があり、そこに記紀の神を当て込んだと思っている。
だから春日明神はあくまで春日明神であり。記紀で言えば武御雷、仏教でいえば不空羂索漢音という構造だと理解している。
不空羂索と武御雷は春日明神をはずしたら全く結びつきはない。
明治維新で明神・権現がいったん消えたが信仰の上ではあくまで中心はその土地に根差す神だ。
八幡宮や稲荷でさえ土地によって本地は異なる。
古事記は712年 日本書紀は702年の成立だ。仏教公伝の593年より100年以上後だ。
日本の神々は仏教を歓迎したと理解された、神仏習合の流れは実際は同時期に発生しているか、記紀よりまえからあるとみてよいと思う。
○○ノミコト様だからとお参りする人は少ない。
皆、何んとか神社・何とか明神・何とか権現だ。
そこを軸に両翼に○○ノミコト、本地仏というのが日本の神祇信仰だ。