極楽浄土は阿弥陀仏をひとえに頼むほかないと浄土系の人々は言いますが、私は観音信仰でも行けると思う。阿弥陀様の真言でも行ける。
たとえば十一面観音委は十種勝利 四種果報というのが説かれています。
十一面観自在菩薩心密言念誦儀軌経の説く
十種勝利
- 離諸疾病(病気にかからない)
- 一切如來攝受(一切の如来に受け入れられる)
- 任運獲得金銀財寶諸穀麥等(金銀財宝や食物などに不自由しない)
- 一切怨敵不能沮壞(一切の怨敵から害を受けない)
- 國王王子在於王宮先言慰問(国王や王子が王宮で慰労してくれる)
- 不被毒藥蠱毒。寒熱等病皆不著身(毒薬や虫の毒に当たらず、悪寒や発熱等の病状がひどく出ない。)
- 一切刀杖所不能害(一切の凶器によって害を受けない)
- 水不能溺(溺死しない)
- 火不能燒(焼死しない)
- 不非命中夭(若死にしない)
四種果報
- 臨命終時得見如來(臨終の際に如来とまみえる)
- 不生於惡趣(地獄・餓鬼・畜生に生まれ変わらない)
- 不非命終(非業の死を遂げない)
- 從此世界得生極樂國土(今生のあとに極楽浄土に生まれ変わる)
最期に四種果報のうちにちゃんと極楽に行けると書いてある。
鎌倉仏教は仏教内の心理を探求するあまり「真実の一をとって他を捨てよ」と教えます。
私はそれはおかしいと思う。
そういう選択の仕方でなく、全部包摂して考えるほうが自然に思います。
天台大師はその観点から一切経を包摂して法華経を一番上に置いた。
今の様に法華経の内容すら知らずに「法華最第一とかいてある」などという愚かな言い方ではない。
よく文化人は鎌倉仏教が好きと言いますが、聞きかじりの選択で仏教全体においては暗い人が多いからだと思う。
昔の日蓮宗の伝書「修験故事便覧」に越の泰澄が十一面観音を祈って天下の疫癘をおさめたことについて「仏法なれば一応に功徳はある」としている。
今の変な日蓮系団体の様に、日蓮の法華経信仰以外は全部だめ、地獄に行くなどとはいっていない。