私の師匠はいきなり「いついつ伝法する」といわれることがあった。
「来られません」というと「じゃあ仕方ないね」で終わりで2度はなかった。
代替えはなし。
すべてにおいてそういう授かり方をしてきたから私はヤリが降っても師匠が来いという日には行った。重要な法ほどそうだった。
これって現代の人は酷いなと思うかもしれないが今思うと師は法と行者の「縁」を読みとっていたのだと思う。
最近、生活苦にあえぐ行者さんに財運の秘法を伝授してあげようとせっせと前日から書写したが。急にその日は仕事で来られなくなったと言ってきた。
師匠の考えではこれはこの人は残念ながらその法に縁がないということになる。
私も同じ考え方をしている。
だから取りやめだ。
いずれまたはもう永遠にない。
法にふさわしくないと考える。
まあ、短いが秘法中の秘法なので無理もないと思った。
もう一人在家の人も、もう長いので信仰されているある神仏の祭文を教えてあげようと書写したがこれも日にち変更。
だから止めである。
どちらもサプライズの用意なので伝授するとは一切口にしていない。
ご本人も誰のことだかわからないでしょうが。
それでよい。
別にわかっても一向に構わないが。
わかったところで変更はない。
その人が来ないのが問題でなく、法からその人が拒否されたのが問題なのだから。