昨日会食していて「こんなこと言うと叱られるかもしれませんが・・・先生は資産家や政治家のようなエライ人が来たら一応話を相手にあわされますか?」と聞かれた。
政治家、医者、宗教者、学者で公益的で重要な仕事している方には一応「先生」という呼称を使う。
相手が信者でも弟子でもそう呼ぶ。それは必要な礼儀だと思うからだ。
他に理由はない。
同時に私も寺に指導を乞いに来て「羽田さん」などと呼びかける人間は一切信者にはしないことにしている。
つまり宗教的指導者とみなされていない。相手にとって私は敬意に値しないのだと判断するからだ。
そういうことは正面からはっきり言う。礼儀のない人間は嫌いだと言う。
偉ぶりたい奴と思われても別に気にならない。もうつきあわないのだから。
だがそういう敬意とへつらうか否かは全く別だ。
面倒なのは徳のない金持ちだ。
はっきり言って好きじゃないね。
お金持ちだからといって別に指導者ではないので上に置く扱いはしない。
ハッキリ言って貧乏でしみったれたのも嫌いだが、そもそもなにかといえば金にものを言わすような態度の無礼者はもっと嫌いなので。
そんな時、私は武術のN先生を思い出す。
治療家でもあり、客が出すぎたことや威張ったことを言うと「なんだと?金はお前のだろうが技は俺のだ。お前の金はいらないからとッとと帰れ。」と乱暴ながら小気味いい人であった。
わが師も誰もが知る著名な実業家が来て、いきなりすぐに聖天浴油供をしてくれと言ってきたそうだが「いきなりやれるものじゃない。今月の浴油はもう終わったのだ。来月にしてくれ。」とにべもない。
でもね。私にはそんな心配は全然ないんです。
そもそも、うちみたいな弱小寺院にはそんな偉い人や大金持ちなんか来ませんから。
私も持ち上げられたり、まめに機嫌とらないと不機嫌になるやつなどメンドーで付き合いたくもないから来ないほうが気楽でいい。
別に私は決して清廉なのではない。ただ面倒が嫌いで横着なだけだ。(笑)