若くしてアメリカ人初の教皇(ポープ)になった架空の人。ピウス13世の物語。
もちろんドラマです。
舞台は現代。
ジュード・ローがバチカンの老獪な司祭たちを相手に斜に構えながらもカソリック従来のあり方を強行しようとする保守派の教皇を演じている。
離婚禁止、堕胎禁止、同性愛禁止などを強調していく彼。
ミサにも神聖さを保つためにと言って容易に姿は現さない彼。
イタリアの首相とも徹底的ににやりあい「悪魔」とさえ言われる。
だが、実は彼は「神」を自らのうちに見いだせずにいた。
基盤がなければ形を整えるほかに当面はやることはない。
だから周囲を抑え込んでカソリックの従来路線を強調する。
そこは明確には口にはされないがそう思う。
彼は恐れているのだ。自分の立場を。
だが、それがあまりに保守的だと逆に彼を引きずりおろそうとする一派に口実を与える。
一方で神を見出せない若き教皇は子供のころから友人の母の瀕死の病を癒し、敵が女性関係を作らせようと送り込んだ不妊症の女性を祈りにより懐妊させ、アフリカで現地人を奴隷のように支配する悪徳なシスターを祈りで滅ぼしてしまうなどの奇跡を見せる。
実は彼と神をつなぐ一縷は自らの祈りによるこれらの神秘体験であった。
だが理屈の上でも心の中でも明確な信仰を持てない彼。
だが神を見出すにつれ、その考えにも少しづつ変化が訪れる。
神を語るべきものが実は神を最も探しているという皮肉。
その苦悩の道とその果てを描く宗教的秀作だ。
この映画は現代の悩めるカソリック教会の姿を浮き彫りにしている。
だがそこには同時にカトリックのみならず宗教的に高みにあるものが、いかにうまく神や仏などを語れても、実は確固たる信仰がなく。神も仏も見いだせていないという宗教界共通の問題が語られているのだと思う。
ピウス13世は神を語れないが神の奇跡を起こす人だ。
これらの奇跡が認められ聖人に加えられようとする話を聞いて彼は「名誉はもうたくさんだ」という。成人になれば心の重圧は重くなる。
だがむしろ宗教の原点にそうした神秘体験がないならそれはもう死んだ宗教と言えるだろう。
カソリックでなくてもクリスチャンでなくても、宗教において同様の関心がある人が十分見るべき価値のあるドラマです。
続編もあるとか。