「お母さん食堂を巡っては、ガールスカウト日本連盟(東京)の高校生が「女は家事をこなし子どもを育てる」といった意識を助長しかねないと表明し、議論が巻き起こった経緯がある。」
愚かな子供がいたものだ。誰か敵企業にに言わされてるのか・・・。
この子自体が母の味を知らないのだろうか。
そんなこと関係ない。
皆のおかあさんのおいしいごはんで育った人は多いはずでしょうに・・・。
ファミマもそれを視野に入れてのネーミング以外に考えられない。
ファミマが女性差別する理由などないからだ。
そんなこと言うなら「おふくろの味」とか言う表現もダメでしょう。
ミルキーはママの味は微妙か。
差別表現で取り締まり対象となるだろう。
そうなったら世も末だわ。一種のファシズムだ。多様性の死だ。
韓国だってオモニの味というキムチのポスターを見たことがある。
よその国ならそんなののけぞりもんだ。
世界中、皆お母さんのご飯で育ってきた。それがどうして女性を侮蔑することになるのか。
実に偉大なことだ。これは母への侮辱だ。
母を出産しただけの女性に還元しようとする母への侮辱だ。
産みっぱなしで育児しない女など母ではない、昆虫じゃあるまいし。
それはもちろん父も同じだ。
ジェンダーフリーの暴走。
どこまでバカなことをいうのかと呆れる?
なにかくるっていると思うのは私だけか?
皆、こわいので黙っているの。
ジェンダーフリーの論客は怖いかもね。
でも関係ない。
普通、知識がよりすくない方、上手にものを言えない方がいい負かされるよね。
でもだからといってまちがっているんなんて誰が決められらるの?
いい負かせば正しいのかは違うと思う。皆、そこを考え違いしている。
そんなの本当は少しも怖くない。
最近はやりの「論破」も関係ない。ただの遊びだ。
何にも大事じゃない。いい負かすだけで納得させれなけば意味ない。
だから同じ土俵に上る必要などない。
どんなに知識がなくても変だと思うのは自由だ。逆にいいと思うのも自由だ。
これはすべてにおいて私はそう思う。
それは権利だと思う。
私なら「なつかしのお母さん食堂」でぐうの音も出ないようにネーミングしてやる。
まあ、幸いファミマは圧力で負けて変えるわけではないようなので安心した。