「日本の中高年男性は文化的・社会的な要因でこうした傾向が特に強い気がします。文化的要因は「孤独をよし」とする風潮がみられることです。孤独=カッコいい、男性は一人でも強くいなければいけない…といった意識に縛られているところがあると思います。」
家庭内での中高年男性の孤独は多分に「村八分」的なものもある。
だが、それは周囲が冷たいと限らiない。
昔のように帰ってきて、風呂、飯、寝る しか言わないならそうなるのは当然だ。
家族はとりつく島がない。
そんな人と暮らしていて楽しいはずはない。
「俺は仕事で疲れているんだから・・・」はもはや通用しない、妻だって働いているのだ。子供だって学校で頑張っている。
たしかに帰ってきて寝るだけの忙しい時もあるだろう。だが、毎度、それを言うなら家庭を作る意味が失われる。
そんな時にも自分は「今 忙しいのだ」ということを自分から妻や子供に伝えもしない、話しもしないのは家庭人としての怠慢だ。
猫や犬だってかまってやらねば、いぶかしく思うのは当然だろう。
夫のみならず妻もそういうものと決めてかからず、話し合いをしてみる価値はある。
軽く声をかける程度では駄目だ。「うるさい!」などとあしらわれて余計失望する。
妻だってそうなれば子供でもいない限りそうなったら孤独になる。
何も男性だけの問題ではない。
一番いけないのはお互いそういうものと決めてかかることだ。
話し合うより、こんな人とは暮らせないという思いを募らせ「熟年離婚」を選択してしまうのは愚かなことだ。
こういう孤独は初めから独身で一人でいるより感情を傷つけるだろう。
まったく独身でいての寂しさは空空漠々とはしていても気に障る相手もいないのだから傷つきようがない。
結婚したいと思いながら独身でいる人は「どこかに自分にぴったりの人がいる」という妄想を一日も早く捨てることだ。
いままでであったことがない?
それは不幸なことでも何でもない。
それはいないからだ。
ネッシーや雪男よりいない可能性ははるかに高い。
人間関係はどんなものでも出会って築いていくもの。
初めからおいしいごちそうができているのではない。
ごちそうは二人で作るのだ。