猫を虐待して殺してしまったことを悔いてる人がいた。
懺悔話を聞いたが、今は猫の保護や里親探しに奔走しているというお話。
いくらそんなことをしても死んだ猫は帰ってこない。
それはそうだが、そうすれば猫の死は必ずしも無駄にはならなかったかもしれない。
よいことではない。だが、猫の虐待死はその人をして目を開かせたのだと思う。
それも事実だ。
よく過去の因縁がどうのこうの 前世の罪業がどうのこうのというけど
前世だろうが今生であろうが死んだ者は帰らない。
そのことはいくらほじってもできることなんかない。過去は再現しない。
せいぜい供養するほか手はない。
だからこそ、いつまでも前世の因縁がどうこうなどといわず、罪は罪として認識して前向きに善事を行うのだ。
やったことからのがれようとするのは卑怯者だ。
それ以外に罪障消滅などあるはずがない。
もしも無量の過去世があるならそこでは様々なことがあったろう。皆同じだ。
それをだれも責められる人はいない。
今それを責めているのはほかならぬ自分自身なのだ。