金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

密教修法に無駄はない

自分で霊的な存在、目に見えないものは感じられるだろうか?

私は霊能者というほどのものではない。いわゆる幽霊みたいなものはあまり感じないし、死人の霊もほとんどみたこともない。

 

でも今日、家の中に何かいるかな・・・?自分でその場で試してみたが・・・すぐ横にいるなにか黒い海坊主みたいのは何となく感じた。

居間にいるくらいだからよその部屋にもなんかいるだろうね。

それが本来の姿かどうかは全くわからないがそう感じるだけ。

その形状などは99パーセントが私の感じ方に過ぎない。だがいるにはいる。それはわかる。

私はこういうものは肉眼で見えないだけで、そこいらに普通にいるのだろうと思っている。

この前おなじことをしてみたが動物小屋に長い龍みたいのがいた。

ジイっとしていた。多分そこがいやすいだけなのだとその時は思った。

いいかえれば別に珍しくないものではないと思う。

いるからと言って大騒ぎするようなものでもない。

お互いさわれるわけじゃないし。

 

今回は「なぜここにいるのか」聞いてみた・・・。

どうも御経や真言が聞きたいらしい。ものすごく聞きたいようだ。

そういうのは沢山いるようだ。

可哀そうなので心経一巻と光明真言を供養させていただいた。

でも、思うにこういうのがわんさか来るとおそらく修法の邪魔なので地結だの金剛墻だの結界を幾重にも張るのだろう。

ものによっては貪欲なくらい読経の機会を狙っているんだろう。

でも何者かわからないがこのひと?たちにも施しは必要なんでしょうね。

施餓鬼とか神供というのがそうなんだと思う。

誰がどうあみだしたかわからないが、密教修法に無駄なものはないな・・・と思う。

お経を読まない。勤行しないことは彼らをどんなにがっかりさせるかわからないと改めて深く思う。僧侶として申し訳ないことだ。

お経を読まなくても仏罰など当たらぬが、あんまりじらすとこ奴らは黙っていないかもと思う。

こういうことが分かるならほかにもわかるだろうと尋ねてくる人もあるが、とんだ眼鏡違いだ。

今述べたくらいが関の山だ。ほかはな~んにもわからない!

わたしのようなも阿呆には目に見える世界すら分からないことの方が多いのが実際だ。