金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

動物は子供ではなく友

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「ローマ教皇フランシスコ1世は5日、ヴァチカンでの一般謁見で、親になることについて言及し、子どもを持つ代わりにペットを飼うことを選択する人は自分勝手に振る舞っていると示唆した。 フランシスコ1世は、「今日(中略)私たちはある種の身勝手さを目の当たりにしている」と群衆に語った。 「子どもを持つことを望まない人もいる」 「子どもを1人だけ持つ人もいる。1人でおしまいだ。ところが彼らは子どもの代わりに犬や猫を複数飼っている」 「おかしなことかもしれないが、これが現実だ」 そして、こうした行いは「父性や母性を否定するものであり、私たちを損ない、私たちの人間性を奪うもの」だと付け加えた。 フランシスコ1世は、生物学的な理由で子どもを持てない人は養子縁組を検討すべきだとし、人々に親になることを「恐れるな」と呼びかけた。 また、「人口統計学的な冬」(おそらく出生率が低下している国々を指しているとみられる)についても言及し、「人々が子どもを持ちたがらない、あるいは2人以上を望んでいないことがわかる」とした。 ■「文化的劣化」 フランシスコ1世は過去にも、子どもよりペットを選ぶ人たちに対して発言している。 2014年には、子どもの代わりにペットを飼う行為は「文化的劣化の現象の1つ」であり、ペットとの情動的関係は親子の「複雑な」関係より「たやすい」と述べた。 現在85歳のフランシスコ1世はこれまで、犬からヒョウにいたるまで様々な動物をなでている姿を写真に収められてきたが、個人的にペットを飼ってはいないと考えられている。 」

 

ヒトと動物との関係を親子としてとらえるとそういう意見もあろうが、あえて子供のない動物好きの立場で言うなら真の動物好きは動物を子供ではなく友と思っていると思う。少なくとも私はそうだ。

仏教では鳥獣魚中は傍生と言って人間の傍らで同じように生きていく仲間だ。

仏教では動物も鳥も魚も虫も魂のない肉の器ではなく基本的に私たちと同じ存在だ。あえて言うなら地球の友だ。

思うに愛玩動物は愛情を注ぐべき対象だが必ずしも子供の代わりにはならない。

そんなことを思いこみたいのはむしろ子供をもった経験のある人だろう。

実際はそれは上でも下でもなく、それと全く別なことだ。

身近な動物は厳密には子供でない。友でもないかもしれない。

だが人生を豊かにしてくれることは同じだ。

 

法王聖下は子供を持たぬのは身勝手と言われるが、全能なる創造主が皆に人々におしなべて子供を持つこと願うなら子供が欲しくてもできない人は一体どうなっているのでしょうか?と神様に問いたい。