金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

座を崩さない

亡くなった先々代の園城寺長吏福家俊明猊下のお言葉に「胡坐(あぐら)をかいてはいけない」というのがあった。

これは現実の胡坐のことではない。要するに修行者は油断をして本来のだらしなさや増上慢を出すような真似は最後の最後までするなということと思う。

そういうところに人品は問われるのだ。

 

あるお寺で新年の行事があった。

長年いて胡坐をかくような態度をとる弟子がいたそうだ。

重役出勤よろしく、二時間も遅れてとんでもない時間にやってきて、行事のあとは撤収の手伝いすらしないで帰ろうとする。

客人気取りだ。

注意しても馬耳東風。ここの住職は護法の念厚く、根が温厚な人なので破門などにしないとみてか、専横のふるまいがある。

仲間の弟子を誘って何かしら企てごともする。

古参の弟子ではあるがさすがに住職も他の弟子に「もうあいつが何を言ってきても決して相手にしないように」とまで言ったそうだ。

古参の弟子ほど礼が身につかねばならないのにまさに真逆である。

この弟子のように長年いればなかには図々しい「古だぬき」になることもあろうが、わずか数年でそうなるものもいる。

私に言わせればこの人間などまだ行事にやってくるだけマシで新年の挨拶すら来ないものもいる。要するに世話にあっている気などないのであろう。

人となりというのはそういうところで暴露される。

胡坐をかくな、最後まで座を崩すなというのは行をする者の基本であり根幹だ。