こういっては失礼ですが、今は十一面様も聖天様も飯縄様もお互いによく知っている既知のような存在になりました。
今さらあえてなにを願うべくもなく向こうはこちらをよく知っていると思う。
よって畏れながらあえてこちらも何も今さら願うべくもない。
そういう状態。
若いころ、必死になって自分のための祈願していたころが懐かしいくらいだ。
でも、その若いころからいろいろな周囲の人が言うのを聞いてきたのですが、・・・どこにもいる何かというと「ありがたいですね~‼」とか「感謝しかない信仰!」とか言っていたそう年配でもない信徒の方々は本当にそう思っていたのだろうか?
どうありがたいのか聞くと…大体口を紡ぐ。
時には若いのにお参りしてエライとか言われたけど、自分の祈願を祈っているだけなのにその何が偉いんだろう?と正直思っていた。
その方々は30や40代ですでにもう感謝の信仰だった?
ウ~ン。だとすれば皆、かなりの達人と思う。
恥ずかしながら愚かな私は還暦過ぎてやっとここまでです。
到底及ばない。
でもね。私は思う。はじめからそんな信仰できやしないと思う。
少なくとも私はそうだったから、人にもそんなことも求めません。
でも長くやっていれば自然にわかることだとも思う。