ある修行者さん、心の中をのぞくとストッパーがかかっている。
本当は相応の力があるのに封印している。
ある罪悪感で。
あなた前に進んではいけないと思っているでしょう?
その話をしたら泣きながら話してくれた。
なるほど、でも、それはもうとうに忘れていいようなことだ。
私に言わせればどれほどのことでもない。
誰も被害者は今いないのだから。むしろ、この人自身が今は唯一一番の被害者だ。
人は皆なにかしらある。
よくいう過去世の罪障もおなじことだ。
過去世の過ちなどどうにもならない。
時間は戻らない。第一本当は何があったのかは誰も知らない。
だから手放す。
懺悔はそのためのもの。
同じことを繰り返し延々と悔いて永遠に罪人であろうとするためにするわけではない。
仏は許すための存在。仏に懺悔して許されぬことはない。
仏に許されるとはその導きを受けられるということだ。
ベクトルがマイナスからプラスに変わる。
過去を手放さないためにずーっと懺悔して自己責めしていくのは意味がない。
それは学びではなく、執着だ。
でも話を聞いてこの人も御仏の力で振り返り振り返りゆっくりだけど、確実に導かれているのだなあと思った。安心した。