ずっと昔のことだが聞きたいことがあるという方と出会い、「天台は法華経と大日経を信仰するそうだが、法華経と密教とどっちが尊いのか?」という質問があった。
恐らく法華系の新宗教か何かの方のようだった。
妙なこというものだと思って「誰にとって?」と逆に聞いたら、その人は言葉に詰まった。
それでもようやく言葉を見つけたのか、少し怒ったように「誰とかじゃなく絶対に尊いのはどっちかと聞いているんです。」という。
で、答えた。
そのようなものはない。
「誰とか」を抜きにしたら尊いものなど水一杯から始まって黄金の山に至るまでなにもない。
密教だろうが法華経だろうが阿弥陀信仰だろうがそれはただの教え、成道の方法論だ。
成道すべき衆生がいないなら反古や土くれに等しい。
もしもあなたが実のところは一番尊いものはなにか?と聞きたいなら衆生以外ない。
主役は衆生だ。