密教には弾指という作法がある。パチンと人差し指をはじく作法でこれが鳴らないと魔が去らないとされています。
護身法とともに授けるが、前例からしてこれが鳴らない人は密教は無理だと思う。
少なくともうちでは一つの指標と言える。
弾指がならないなら代わりに安易になにか教えるとかはない。
あの手が駄目ならこの手などと言うものではない。
そういうなんとかしてやろうと節を曲げることはエセ親切であり邪心であると深く戒めている。
同時にそれは一種の足切りになっている。
鳴らねばそこで密教はアウトである。
「やらせてはいけない」というメッセージだと思う。
密教の行は准胝独部法にしても途中で投げ出せば必ずよいことにならない。
必ず人生のペナルティになる。
それも器でない証拠だ。授かってやらぬような人は人間としても大嫌いである。
法を軽んじているからだ。
法は受ける以上はやるというのが大事だ。やらないならうけなければよい。
初心のうちからいい加減なものなどまともに相手にしていられない。