釈尊は「六方礼拝経」で親しく付き合ってはならない人々というのを述べています。
仏教は法を求める万人を受け入れますが、個人的に行使あするとなるとまた考えは別です。誰でも親密になれとは言わない。
友達にしてはならない人というのもあります。
一番目は何でも人から得ようということしか考えない人
つまり貪り強くそれでいて人に施すことのない慳吝の人
二番目は言葉だけでよいことをいうものの実行ということがほとんど伴わず空約束の多い人
三番目は二枚舌の人、表では愛想よくその実は裏で人を悪く言うことが身についた人
四番目は酒や賭博、遊興などにおぼれる人
こういう友人は付き合うのに値しないとお経は言います。
こんな友人なら縁を切って孤独でいることのほうがまだいいのだとまで説かれています。
まあ同時にこういう人にならぬよう注意すべきでもありましょう。
以下は私の友人譚
もう亡くなってしまいましたが若いころ私を騙していろいろ原稿を書かせ35万円も儲けた奴がいた。
「あんたはなかなか書けるね。あんたの原稿を世の中に出してやるからいうことをきけ。」といい、私に書かせては実は自分の原稿として出版社に出して原稿料をせしめていたのでした。
私がそのことを知って書くのをやめたところ。出版社にそれがばれて私に直に仕事が来るようになった
それで中途からは出版社の依頼で私がじかに書くこととなった。
その話を当初、憤慨して母に話ししたところ
「お前は何はともあれその人のおかげで仕事を始めたのだからある意味恩人ではないか。恩人は大事にしなくてはいけない。」とたしなめられた。
で、「最後のお金は彼にやってくれ」と言いました。手切れ金代わりでした。
まあ、ゲゲゲの鬼太郎のねずみ男のようなやつでしたが…まあ、どこか憎めないところもあった人間でした。
ところが彼はその後も図々しく拙宅に出入りしていましたが、
ふと、「俺は不思議に思うんだが・・・羽田さんはなんでこんな俺にやさしくしてくれるんだよ?あんたを騙したんだぜ。」と聞かれた。
この人の母上からも「最近、息子がお宅様からいろいろ頂いて帰ってきますが…また、だまそうと何か良くないことを企んでいるのではと心配です。」という電話もいただていた。
その時はきつく「お前は私をだましたが、そんなお前こそ哀れなものだと思っているからだ。ほかに理由はない。」と言ったら黙っていた。母にその話をしたら「そのようなことをいうものではない。」とまた叱られた。
その後何年もたってなにかのきっかけで「いったいおまえは私のなんなのだ?」といったら「だって…友達だろう。俺たちは。」と実に言いにくそうに言っていたのを覚えている。
その時は「へえ…こいつ。また何か企んでいるんだろくらいに思っていたが・・そんなことを思っているのか?」と意外だった。
私はいろいろな経験もあって人を容易に信じない。
動物のほうがとっつきやすい。
ただ冷たい気持ちではない。人に期待しないだけだ。
なぜならば期待しないと恨まずにすむからです。
詩聖リルケの言う「人は愛するもので信じるものではない」は座右の銘と思っています。
この男は頭脳明晰で明晰で理科大を首席で出た男であったというが・・・しまいには怪我だかで生活保護を受けて、その末は実に淋しい男であった。
どこかやけっぱちなところがあり受給金は皆酒と風俗に消えてなくなった。
実のところこの怪我というのも実は怪しいものだった。
うちに来て毎度、植木を丁寧に切ってくれるようになったからだ。
どこで学んだのか植木剪定の技術はあった。
父親が学生運動盛んなりしころの左翼過激派の活動家であったから就職はままならなかったと言っていた。公安もマークしているという。
彼のアパートに行くと高等数学とエロ本と仏教の本が一緒に段ボール箱に放り込んであった。
そういう人物だった。おごるから来いといううので行くが結局は、私がおごった。
そのうち、「羽田さん俺が死んだら葬式してくれよ」というようになった。
「まだ若いし、何を言う。だいたい大して年は変わらないだろう。唯物論者のお前さんが葬式なんかしてほしいのか?」といっていたが、果たして早くに亡くなった。
三つ上の彼は60歳ちょっとでなくなった。
そのことを知ったのはだいぶ後だ。
御兄弟から生前の親交を感謝するはがきが差出住所なしで一枚来た。
このように善友とはいいがたいが忘れがたい友もいる。