今日ある僧侶が見えて入構の話を…と言って面談に臨んだ。
そうはいってもこの方は単立寺院の僧侶だ。
きいてみたら僧侶としての基礎は在家でもできるようなこと。
私も言いにくいことを言うほうなので
「そんなのでは私の考えでは僧侶とは到底言いがたい。はじめから修行しなおしてはどうですか?」と言っておいた。
別に修行希望というわけではなかったのですが、今後はそういう気持ちがあるなら礼拝3000遍 准胝独部法10万遍としてもらうの在家出身の皆と一緒です。
私も今年65歳なので指導にも限界は見える。
基礎だけでも5.6年かかる。
峰入りや、教師講習会も参加してもらいたい。
だから今後は本気でそいうこともやる気のある人だけを重点的に指導したい。
私自身、誰にでも時間が割けないので新たに来られるなら、専門家を目指す20代30代の心身共に健康な人に限り指導してみたいと思う。
宗教者の年齢も年々高齢化している。
少なくとも大峰山にも行ける健脚な男性に限りたい。独身者であることも条件である。
独身者といっても、もちろん行がすんだら結婚していただくのは自由だ。
というよりそれが望ましいことだと思う。
ただはじめから所帯を持ったままの行などは至難の業だ。専念できない。
妻帯していれば配偶者や子供に対しても大きな責任があるので、修行優先でなおざりにすることは許されない。
密教コースは上記の人に限りたい。
それ以外の方はそれなりの修行でお願いする。